まちなみとでんしゃ

Nゲージサイズでガタゴト走る電車とまちなみを作っています

横浜の鉄道風景 その2 続・ハマの転車台

先日の記事(http://machiden.blog95.fc2.com/blog-entry-94.html)で
高架橋の上から眺めただけだった転車台、
見学会があったので参加してきました。
象の鼻転車台

この場所はご存知の通り横浜開港150周年に向け、象の鼻パークとして整備真っ最中。
オープンに向けて盛り上げていこうと企画されたのでしょうか。
この写真だと解りますが、場所は日本大通り(奥の銀杏の木の辺り)の突き当たりです。
象の鼻転車台

このような具合に、大勢の人が見学に訪れていました。
象の鼻転車台
近くで観ると結構な大きさですね。中央の転車台は「ふた」の部分が外されています。

これが「ふた」。
象の鼻転車台

レールとの取合いの部分をよくみると、
象の鼻転車台
溝の部分に車輪のフランジが嵌り、ふた全体がレールの役目をするのでしょうか?
確かにレールがふたの上面から突き出ていると荷車の通行や人の歩行に邪魔ですよね。
トラックバックして頂いた、「筆不精者の雑彙」さんの記事:
筆不精者の雑彙 「象の鼻パーク」の転車台と軌道跡について 補足情報・異説など
に拠ると、ふたの下に端部を支える腕があり(ちょっと見えてますね)、
載っかった貨車(台車?)の重量はほとんどその中心のピンで受けているということ。
こんなに小さいのにちょっと興味深い構造をしています。通常の鉄道用の転車台に近い?

ふたの外された中をみてみると、
象の鼻転車台
中心ピンが見えますね。
これでも一丁前のレンガ建築だと言うように、レンガと縁取りの石材との組合わせ。
滑車の取付ベースも石ですね。それだけ重量がかかり、精度も要求されたのでしょう。

滑車にふたが載っかるとこのような状態でした。象の鼻転車台
前述の「筆不精者の雑彙」さんの記事に拠ると、別の日に調査に入られた方が
「試しに回してみたら動いた」!
そうで、土の中にそれなりの期間埋まっていたとは思えませんね。

横浜関内地区、特に外国人の居住地だった山下町界隈は、
あちこちで土を掘り返して工事真っ最中なのですが、
いろいろなところで地面の下から遺構が発掘されているようです。
たかだか150年くらいの歴史の街ですが、
まだまだ知らない、いや忘れてしまった事実が明らかになるのでしょう。忘却って恐ろしい。
ちなみにこの奥の岸壁は象の鼻の波止場。横浜で一番始めに作られた波止場です。
転車台のまさに目と鼻の先にあります。
象の鼻転車台


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  1. 2008/11/07(金) 17:31:19|
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横浜の鉄道風景 その1 ハマの転車台

RM名取編集長のブログにこんな話題が出ていました。

編集長敬白 横浜港で“出土”した転車台群・続報。(上)
編集長敬白 横浜港で“出土”した転車台群・続報。(下)

この転車台が出たという話、実は別の方から聞いていて、
見つかった翌々日くらいに見に行っていました。

象の鼻転車台
これが出たのは元東西上屋という保税倉庫が建っていたところ。
すぐ向かいにハマのクィーンこと横浜税関がありますが、
元々は荷揚げした品物を一時保管するための倉庫でした。
しかし、末期は輸入車屋さんが入ったり、アンティーク家具屋が集まっていたり、
一種独特な(悪い意味ではありませんよ)雰囲気が漂うところでした。横浜らしいというか。
そして、編集長さんのブログにもある通り、元々は霞ヶ浦の航空隊の建物で、
飛行船を格納していた(本当かな?)と(私は)聞かされていました。

象の鼻転車台
現場はこのような敷地の一画。右側のガラのあたりが出土地です。
正面の並木道は日本大通で、真っ直ぐ行くと(樹木で見えませんが)横浜スタジアムがあります。
震災前はちょうどこの写真のあたりに税関があって、
その正面の道として日本大通が作られていたわけです。
つまり当時の街は海側というより、スタジアム側に向かって開けていた。
そしてその裏にあったのが荷揚げ場なのですが、
そこに新港埠頭からの線路が延びていたようです。

象の鼻転車台
大切にシートで覆われていてこんな状況。
※上記3点とも敷地外からの撮影です。

象の鼻転車台
象の鼻地区は開港150周年に向けて公園の整備が行われていて、
造成工事真っ最中です。
正面に見える高架橋は臨港線の跡の遊歩道。上記写真はそこからの撮影です。
開港当時は横浜の表玄関(といっても荷揚げ場)だったのですが、年月を経るにつれ歴史の澱が積み重ねられ、
いつの間にやら取り残されていたような場所です。
ちょうど2枚目の写真のような、ツタが絡まる建物に囲まれた、
寂しげな、でも港町の風情がある場所でした。
新しい公園も、そのような場所の「臭い」が少しでも感じられる場所になって欲しいですね。



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  1. 2008/10/08(水) 01:00:00|
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東神奈川の名物が

某巨大掲示板情報なんですが、

東神奈川の駅そば、日栄軒。
ここは乗換駅のせいか割りと繁盛していて、風情もあって、駅そばとして美味しいのですが、




名物の穴子天そばが消えてしまったそう。


がーーん!



ちょっと(駅そばとしては)高めでしたが、とても美味しかったので残念です。
大きな穴子のてんぷらにゆずがかかってて、
ボリュームもたっぷり、香りもいい感じでした。

残念。復活しないかなあ。

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  1. 2008/05/20(火) 07:54:14|
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1953年への旅 その2

最近引っ張り出してきた交通公社(これも懐かしいですね!)時刻表(昭和28年4月号)ですが、資料
これを使ってみます。

目的地は、そうですね、、、水上でも定山渓でもいいのですが、
まずは手近なところで箱根、強羅にでもしてみましょうか。


私の自宅は横浜の中区の海沿い、タンク車がごろごろ転がっている駅の近くですが、
当時最寄り駅はまだありません。
開業はオリンピックの年、1964年(昭和39年)5月19日です。

その当時はこの辺りの住民はどこから横浜中心部へ出ていたのか?
競馬場跡地を巻いていけば市電の終点(山元町)へ行けるので、
そこから横浜市電に乗って中心部まで出ていたのでしょう。
競馬場はまだ接収中ですね。J.H.モーガン設計の一等馬見所だけ今も残ります。

山元町からは市電3系統が生麦まで延びており、
日之出町で乗り換えれば京急に乗れます。当時この路線では1300形などが走っていたのでしょうか?
山元町から下る坂には打越橋という朱色のアーチ橋が、これも昔と変わらず架かっています。
当時路面電車に乗った人々も、打越橋を頭上に見上げ、横浜市街を遠目に見下ろし、
ブラフ積みの石垣の坂を降りていったのでしょう。

日の出町に至るまでにも見所が。
今は埋め立てられて大通り公園になってますが、当時は関外には吉田川という運河が流れていました。
もともとあった吉田新田という沼地を、明治になって埋め立てた時に水路を残す形で造られた運河です。
今でも健在な中村川と大岡川と合わせ、路面電車は3つの運河を橋で渡って日之出町へ。

昭和25年の地形図が公開されていますが、山元町から日之出町1丁目までの市電の路線がわかります。
横浜市三千分一地形図第三十五号「山下町」
麦田を通る路線も見えますね。

これは面白いです。関外の南側半分、中村川から先述の吉田川まではこれまた米軍の接収地。
カマボコ兵舎が建ち並んでいたはずです。
そして千秋橋を渡ると繁華街の伊勢佐木町。進駐軍専用のオクタゴン劇場があります。
元々は日本初の洋画専門館、オデオン座。
またその手前には中央電話分局と書かれた建物が見えます。
これも今なお残る建物。NTTの営業所として使われているそうで、近年化粧直しもされました。
逓信省営繕の優れたデザインの、でもどことなく懐かしい建築です。

この一帯の接収解除はちょうど昭和28年3月。この旅をする頃はまだ広々とした空き地が広がっていました。


さて、、、残念ながら手持ちの時刻表には市電の時刻まで収録されていません。
横浜市営電車及びバス
運賃10円均一(乗切制)運転時間5:20-23:30分終日頻繁運転、との記載があるだけです。
他の資料も手元にありませんが、例えば市バスの103系統、
(ちなみに103という系統番号は、市電の3系統+100という意味。)
このバスの時間割を(仮に)市電の時刻表として当てはめて見ます。
天気の良い4月の休日、自宅を朝7時に出るとして、

・山元町まで徒歩で30分くらい。

・山元町から7:35分発の市電(バス)に乗り、日ノ出町1丁目着が7:47分 運賃一律10円也。

日之出町からは京急で品川まで。せっかくだから新宿まで出て小田急で湯元まで行く計画です。
残念ながら日乃出町の発時刻は載っていないものの、
お隣の黄金町から品川まで58分。日之出町からなら56分くらいでしょうか。
初電(黄金町発が5:50)から普通10分毎、朝夕急行20分毎、日中急行20分毎と記載があるので、
(他にハイキング特急5本の記載がいいですね。)

・日之出町発7:52分の普通に乗って品川へ向かいます。品川着が8:48分 運賃60円也

京急はこのころ500形が特急で、400系や230形も快走(爆走?)していたのでしょう。
9時前には品川駅に着けます。

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  1. 2008/05/13(火) 05:55:04|
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1953年への旅

本棚を整理していたらこんなものが出てきました。手描きの58がかっこいいですね。
資料
昭和28年4月号の交通公社時刻表です。

実はこれ、うちの(母方の)じいさんの形見です。
じいさんは長いこと国鉄にいまして、函館本線の小さな駅の駅長をしていたこともあったそう。
札幌駅の助役時代や鉄道公安官時代の話をしてくれたのを今でも憶えています。
当然転勤も多く道内各地を転々としていたそうで、
私もその度に急行に乗せられあちこち行ったはずなのですが、当時のことは何にも憶えていません(泣)。

ちなみに父方の祖父は赤平の炭鉱に当時いまして、
つまり父方の祖父が掘り出した石炭を、母方の祖父が運んでおり、
北海道の産業構造を体現した家族でした(笑)。

じいさんは鉄道が好きだったようで、
記念切符やらピンバッジやら身に付けていたものやら、恩賜のタバコやらがたくさんあったんですが、
亡くなってから処分されてしまいました。
孫がもうちょっとこの趣味にのめり込むのが早かったら、、、悔やんでも仕方ないですね。

でほとんど唯一残ったのが書籍類で、
そのうちの一つがこれです。

中を開いてみると、こんなものなど出ています。
資料
上田丸子電鉄。真田傍陽線や西丸子線も健在ですね。

表紙は何をイメージしているのでしょう。牽引している客車は特急型の車両のようです。
東海道全線電化前の「つばめ」や「はと」でしょうか。
ただし、釜はフリーランスのようですね。側面に窓が5つしかありません。

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  1. 2008/05/10(土) 18:00:00|
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